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2012.02.05 (Sun)

Perfect Day(7)

thanks for 1 million+ viewers on youtube.
I am deeply impressed by the meaning and emotions of this PV,
going beyond so many national boundaries and languages.
thank you all,
thanks a lot!

英語のコメントが多いのはなぜでしょうか…(^-^;
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23:41  |  Perfect Day PV  |  EDIT  |  Top↑

2011.04.18 (Mon)

Perfect Day (6) 美術編

VTS_01_1.VOB_snapshot_01.10_[2011.04.18_04.21.16]1

美術監督は金子英俊さん。美術:アトリエブーカさんでした。
今回も素晴らしい仕事をありがとうございました。
金子さん、いつもながらファンですみません…(笑)

僕は美術へのディレクションとして、常に変わらずはっきりしていることが一つあります。
それは、写真のような美術が好きではないということです。
僕が求めているものは、いつも、あくまで絵であり、
リアル+α、そこにつくり手の思い、その風景の何に感動しているのかという、はっきりとした感情がこめられ、その意思の分だけ、リアルに何がしかの思いが上乗せされた、絵です。

今回はそれを、さらに明確にする為、
魍魎の匣や青い文学メロスの時よりも、あえてディティールを抑えさせてもらって、
絵であるということを、いつもよりも強く、意識においていただくようにお願いしました。
テレビの画面としては、ほど良くエモーショナルなバランスに、まとめられたのではないかと思っています。

これはあくまで僕の考えですが…、
アニメーションは常に、なぜその作品をアニメでつくるのか?という問いに、答えられなければいけないと思っています。
なぜ実写ではなく、アニメなのか――。
そして、3Dがこれだけ発達してきている今日では、なぜ2Dなのか。

美術に関するこうした方針は、それに対する、僕なりの答えの一部です。

取材の折などにたびたびお話していることですが、
現代のアニメのフィルムづくりは、大なり小なり、押井さんの影響を受けています。
大きくはいまだ、押井さんのメソッドの支配下にあると言ってもいい。

長くなるので割愛しますが…。
それは一言でいえば、実写における画面づくりが、カメラのレンズ等を介在していかにして成立し、
それがどのような説得力をもつにいたったかという点に、
アニメの画面づくりにおいても、無自覚であってはならないということです。

これは非常に強固なメソッドで、それはまあ、その通りであろうと、僕も思うのですが、
僕らがつくっているものは、実写でもなく3Dアニメでもなく、2Dのアニメであり、
なぜ僕らが、この方法でフィルムをつくっているのか。
それをつくり手の、ひとりひとりが、
それぞれの答えを、自分の仕事で見せていかなければ、
結局は、なぜアニメなのか?という問いに、答えられていないのではないかと思っています。

魍魎の匣のときに、
BGオンリーの版権をめぐって、
もっと今さんの作品のように精密に描くべきだと言う丸山さんと、この描き方だから良いのだという僕の間で、激論が交わされ、
激論しすぎたせいで、納品に間に合わなくなってしまうという事態が発生しましたが…(VAPさん、その折は本当にすみません…汗)、
美術に関して、さまざまな考え方があることは了解しています。
だからこれはあくまで、僕の考えです。
つくり手の数だけ、考えがあっても良いのではないかと思います。

次回作では――、
あくまで絵を見る喜びであり、絵が動く喜びを追う、
僕なりの考えを、さらにおし進めたフィルムを、お見せできるのではないかと楽しみにしています。
その時には、ぜひぜひ、背景美術の素晴らしさにも、みなさんにも目をとめて頂けると嬉しいですね。

VTS_01_1.VOB_snapshot_02.33_[2011.04.18_04.24.36]2
04:31  |  Perfect Day PV  |  EDIT  |  Top↑

2011.04.02 (Sat)

Perfect Day (5)

グランドピアノの裏面(底面?)が、どうなっているかご存じですか?
僕はよく知ってます。

あまり誰にも話したことのない話ですが、今日は自分と音楽の関わりについて、少しまとめてみます。
Perfect Day のPVの、さらにサイドストーリーのような話。
ストーリーを考えていた時に、裏でぼーっと思い出していた記憶の断片です。


僕の中学・高校時代の同級生に、Y君という友人がいました。
Y君はピアノの経験がないにも関わらず、ある日、ショパンの幻想即興曲が弾きたいと思いたち、
思いたったその日から猛練習を始めました。

ピアノを、教室などで習ったことのある方は、誰でもご存じでしょうが、
レッスンの課程には、ある程度のセオリーがあります。
たとえばバッハならば、インベンション→シンフォニア→平均律、というような。

Y君は、そうした常識をすべて無視し(たぶん知らなかったんだと思いますが…)、
くる日も、くる日も、幻想即興曲。
音楽室や視聴覚室のピアノがあいているかぎり、ひたすら練習していました。

幻想即興曲は、それほど高難易度の曲というわけではありませんが、
正直、ピアノを始めたばかりのY君には無理すぎるだろうと。
いつまで続くだろうかと思いながら、見守っていました。

ところが――
3年ぐらい経つ頃には、Y君は僕よりも上手くなってましたね。
そして、Y君はまた、なんとも楽しそうにピアノを弾くんですよね。
これは僕にとって、衝撃的な体験でした。
音楽が、なぜ、「音を楽しむ」と書くのか。
自分とY君の音楽に対する姿勢の、何が違っているのかは明らかでした。

僕は物心ついた頃にはもうピアノを習っていて、
とっくに音楽を習うことが嫌になってしまって、ずっと離れていたわけですが、
妹はもう少し粘り強かったので、辞めないで音大の付属中学ピアノ科に進み、家にはグランドピアノがありました。

久しぶりにさわった鍵盤の感触は、くすぐったいような心地良さで、
僕はY君によって、はじめて音楽と出会ったと思います。

その後…、
妹の学校の、作曲の課題を代作したりするうちに、その評判が良いらしいことを伝え聞いて、調子に乗り、
しだいに曲をつくるようになりました。

僕にとって作詞作曲する作業は、Y君の流儀と同じで、まったくの自己流です。
それは、楽しくもあり、苦しくもある作業で、
締切が近付いてくるのに、アイディアに煮詰まっている時は(大抵いつも煮詰まってましたが)、
いつも決まってピアノの下にもぐりこみ、寝っころがって茫然と天井を見上げていました。
それで、グランドピアノの裏面をよく知っているんです。
ほどよく暗くもあるその場所は、自分にとって、この世でもっとも落ち着ける場所の一つでした。

僕にとっては、詞と旋律は同時に生まれてくるものでした。
それはいわゆる論理的な思考とはまったく違う、感じる、としか表現のしようのない作業で。
ふだんはまるで使わない頭の筋肉を、無理やり伸び縮みさせているような…?
ひたすらぼーっと感じてるだけなのに、頭は熱をもつぐらいにフル回転し、
吐きたくなるほどの気持ち悪さをともなう作業でした。

それがあまりにもしんどいので、もし仕事として音楽をやるとしたら、これは無理だと思い、
大学の時に時間を見つけて、作曲の理論についてあらためて勉強してみました。
そうすれば、産み出す作業が、ちょっとは楽になるのじゃないかと期待して。
でも、何も変わんなかったですね。
それで、僕はもう一度音楽を辞めました。
この体験を言葉にしてみるのは、はじめてのことで、
そうすることを今でもつらいと感じるほどの、自分にとっては深い挫折だったと思います。


でも、そうした体験のすべてが無意味だったかといえば、やはりそうではないんですね。
今になればそう思います。

たとえば、
プロ野球選手になりたいという夢をもって、野球にうちこんできた少年がいたとする。
しかし、その夢を実現する人たちは、言うまでもなくほんのひと握り。
その他大勢の人たちは、どこかで夢をあきらめ、
野球とはまったく関係のない何かを、生涯の仕事にしていきます。
あるいは、趣味として野球と付き合える人は、一番の幸せかもしれない。
記者やライター、球団職員のような形で、野球の周囲に関われる人はその次に幸せかもしれない。
いずれにせよ、彼はプロ野球選手にはなれなかった。
しかし、そうであるからといって、彼が野球に真剣に打ち込んできた日々のすべてが無意味だったとは、誰にも言えないだろう、と思います。

夢は、真剣であればあったほど、成仏させることもできず、
胸の中でいつまでも、その熱が心の片隅を焦がしている…。
それに対して、心の整理をつけるのか、何かの形で折り合いをつけるのか、それとも共に生きるのか。
これは、僕にとって今でもとても大きなテーマで、またいつか、何か別の形で取り組むことができればと思っています。
Perfect Day のPVのテーマが、「人生と夢」であるのは、
まったくこのような意味合いです。

僕がもし子供たちから、夢は信じればかなうものかと聞かれれば、
誠実に答えようと思えば、信じない人の夢はかなわないが、信じた人の夢のすべてがかなうわけではない、いやむしろ大半の人の夢はかなわない、と答えるほかありません。
しかし、かなわないからそれは無意味だとは思わない。人生はそこまで単純ではない。
それは十分に有意味なことであると感じています。


たとえば…ですが、僕は、
コンテを描く時、曲をつくっていた時と、同じことをしていると思うことがあります。
僕はいつも初期の構想時に、
フラッシュ・アイディアを積み重ねると同時に、全体の構成を、言葉によって積み上げた論理で納得いくまで練って、それがもう十分と感じられてからはじめて、絵にしていきます。
その後の一瞬一瞬の作業を分解してみれば、それは最初にあらかじめ練り上げた論理と構成を、ディティールが内部から裏切っていく作業です。
また、そうでなければ絶対に面白くならないということを、体験的に知っているわけですね。だからそうする。

コンテを描く作業なんて、誰もが自己流だと思いますので、
僕のやり方に普遍性があるかどうかはわかりませんが、
コンテを描いている時は、言葉は頭の中から締め出され、
なぜかといえば、言葉と論理が紡ぐ速さは、「感じる」ことが、一度に全体と部分を同時進めていく、その速度と体積の圧倒的な質量にはまるで及びもつかないからですが、
そうやってマクロとミクロを同時に感じながら、
言葉にしてしまえば結局のところ、いつも、心から「しっくりくるか」どうか、しか僕は見ていません。

それは、
ふだんはまるで使わない頭の筋肉を、無理やり伸び縮みさせているような、
吐き気がするほどに苦しい作業で、
そんな時ふいに、
自分の目の前に、グランドピアノの裏面の残像がよぎり、
なあんだ、
結局今でも自分は、ずうっと同じ作業をしてきてるんだな……と。


…ところで、
電子ピアノは、20年ぐらい昔と今とでは、比較にならないほどに進歩してまして、
家電屋で見かけるたびに、いつも欲しいなあと思っています。
今のアパートでは置く場所がないので、
もう少し広い場所に引っ越せたときに、買えたらなあ…と。ずっと思っています。

それがひそかな楽しみです。
01:58  |  Perfect Day PV  |  EDIT  |  Top↑

2011.03.08 (Tue)

Perfect Day (4)

映像のショートストーリーについて、監督が野暮な解説をしたくありませんが、
以下のコメントはもうナタリーなどで流れてますので、転載します。
元々、ライナーノーツ用に書かれたもので、
150字以内という制限があったので、149字で書かれています。

「PVは、主人公と、途中で違う人生を選んだもう一人の自分との、少しマジカルなある冬の一日の邂逅。サイドストーリーとして、楽曲にインスパイアされながらつくりました。
歳月がゆき白線の距離は離れても、昔も今もいつも、それぞれが自分の白線の上を歩き、お互いを感じている。そんな人生と夢についてのフィルムです。」


ストーリーに関しては、曲を聴いた時から漠然とイメージは浮かんでいたのですが、
具体的には、去年10月に鎌倉を一日歩きながら考え、帰りの電車の中で修正用紙の裏にまとめました。
鎌倉は、青い文学『走れメロス』などでも、おなじみのロケーションですね。

そこから、4小説ないし2小説ごとのメロディを区切りに、フラッシュアイディアのラフイメージボードを起こし、
楽曲を繰り返し聴き込みながら、コンテ上でイメージをつないでいきました。

そうしたコンテ作業に、約ひと月ちょっと。
レイアウト、原画も、それぞれ約ひと月の作業でした。

予算の関係で、カット数、動画枚数ともに制約がありましたので、
素材の兼用をいかに演出的な必然性の元に見せるかが、重要なファクターでした。
同じ絵を二度見せることが、新たな意味を重層的に産むように。
そして限られた動画枚数を、最大限有効に使うように。

当然ながらストーリーもその制約を受けるわけですが、
制約こそが、つくり手のモチベーションを高める要素であるべきだというのが僕の考えです。

音楽はそもそも、AメロBメロなどとブロック毎にメロディを区切ってみた場合に、必ず繰り返して使うものなので、
映像の上でも、そうしたマクロなリズム感は、比較的意識しやすかったと言えます。

結局、動画枚数にして1600枚弱ほどの分量でつくられています。

こう描くと、いかにも少ないような感じですが…、
僕の芝居は、動画枚数にしめる原画枚数の割合が高いので、
なびき等のカットをのぞいて、中わりよりも原画枚数のほうが確実に多くなります。
よく動いているカットの多くは、ほとんど全原画のような状態に…。

一人原画の細居さんは本当に大変だったと思います。
いつもながら、本当に頭が下がります。
02:45  |  Perfect Day PV  |  EDIT  |  Top↑

2011.02.23 (Wed)

Perfect Day (3)

tsuujyou-300x297.jpg

Perfect DayのPVが初めてOAされるようです。

supercell ryoさんのブログより↓
http://www.supercell.sc/archives/2011/02/post-78.html

ryoさんと初めてお会いしたのは、そうでしたね、去年の夏の終わりでしたね。
思えば、もうずいぶん前のことのように感じます。

僕は掛け持ちができないタイプで、仕事は一つ、また一つと、毎回全力で順番に仕上げていくほかないので、
どうしても完成したフィルムを見せられるのが遅くなってしまい、そこは申し訳なかったなあと思っています。

出来上がったフィルムを一緒に見た後、ryoさんに3度も握手を求められたのが嬉しかったですね。

ryoさんという人は、会えば、なるほどこの人がsupercellの楽曲を作っているんだなあと納得してしまうような、素直で飾らない、会えば誰もが好きになってしまうような人でした。
会ったあとの帰り道、自分は同じぐらいの歳の時には、もっとずっとひねていたというか、はたしてあれだけ自然体でいられただろうかとしみじみ思いました。

イメージのやりとりも含めて、ryoさんとじっくり話せたことが、フィルムをつくっていく上で結果的にとても良かったと思います。
漠然と、ryoさんが好きだと思うことと、自分がそう思うことが近しいように感じられたので、
あとは楽曲から広がっていく世界を、自分というものの殻を開いて、内側から慎重に、素直に、注意深く感じ、無心に音楽に耳を傾けていけば、自然と今のようなフィルムにまとまっていきました。

僕がsupercellらしいと思うところのものを、フィルムの形で表現することが、自分なりにはできたのではないかと思っています。
みなさんはどのように感じられたでしょうか。

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