2017年03月 / 02月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫08月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2012.01.28 (Sat)

スポーツライティングの話(2)

この稿を書こうと思ったきっかけは、
パソコンの中の資料をさがしているうちに、たまたま、
自分の気に入ったスポーツ記事をスクラップしたフォルダを見つけたからです。

皆なかなかに秀逸なのですが、ぜひ一つだけ紹介したいと思います。

僕が学生時代から今まで、唯一継続購読し続けている雑誌は『Number』で、
前項でざっくりスポーツライティングと言う場合も、その系統のものを指しているんですが、
この記事は日刊スポーツからです。



まさか…柏GK南投げてオウンゴール/J1

<広島3-0柏>◇22日◇第11節初日◇広島ビ

 広島-柏戦では、GKが自分のゴールにボールを投げ込むという珍プレーがあった。
 会場全体があ然となった。柏GK南が前半17分に思わぬ形で広島に先制点を献上した。広島FW森崎浩の左サイドからのクロスをキャッチした。ここまではなんでもない普通のプレー。この直後に悲劇? は起こった。

 南は味方DFに右手でスローイングしようとしたが、広島FW田中がプレスをかける構えを見せた。ここで一瞬躊躇(ちゅうちょ)し動きを止めようとしたが、勢いがつきすぎていた。そのまま体をゴール方向にひねり、手から離れたボールはゴールへ転々。慌てて追いかける南を尻目に、そのままゴールネットに吸い込まれた。

 柏、広島の選手全員が一瞬何が起こったのか理解できなかった。会場全体も「もしかしてゴール?」とざわめいた。主審がゴールを告げると広島の選手は首をかしげながら、控えめに喜び合った。一方、柏はこれでペースが狂ったのか、後半にも2失点し、このまま0-3で敗れた。

 「怪勝」の広島勢も驚きを隠せなかった。森崎浩は「クロスを上げて自分のポジションに戻ろうとしたら、ボールが入っていてびっくりした」。プロ初出場で初先発のFW田中は「今までサッカーをしていて初めて見た」と当惑していた。

 柏の池谷監督は試合後、怒りを通り越していた。「信じられない失点。先制された場面は見ていなかった」とあきれ返っていた。この試合で最も注目を集めた南は「何もありません」と逃げるようにバスに乗り込んだ。思わぬ形で守備が崩れ、柏は最下位脱出を逃した。「珍プレーショック」から立ち直ることが、浮上するために必要となった。【奈島宏樹】

[2004/5/23/08:18 紙面から




おそらくその場にいた人間にしかわからなかっただろう空気感と、
その一瞬を切りとった、生の臨場感がよく伝わってきて。
抑えた筆致が醸し出すあたたかなユーモアに、僕はあとから、じわじわときますね(笑)

去年、悲願のJ1初優勝を果たした柏にも、日本代表GK南にも、
こんな時期、こんな試合があったんですね。

――おっと。
ついつい僕も、グラウンド外から「ドラマ」を持ち込んでしまいました。

こんな楽しい記事は、これだけで楽しむべきものでしょうね。
スポンサーサイト
20:10  |  演出の話  |  EDIT  |  Top↑

2012.01.28 (Sat)

スポーツライティングの話(1)

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 2/9号 [雑誌]Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 2/9号 [雑誌]
(2012/01/26)
不明

商品詳細を見る


今日は雑談です。
アニメの仕事でやっていけそうになかったら、スポーツライターになりたいなあと思っていた時期がありました。

スポーツ選手には、実人生とは別に、スポーツ選手としての黎明期・ピーク・晩年があり、
いわば「スポーツ人生」があります。

実人生を濃縮したような、その「選手人生」の中に、多くの凝縮されたドラマが息づき。
栄光に向かって極限まで無駄のそぎ落とされた人生と。ほんの紙一重でも勝者と敗者に分けられる勝負の世界の残酷。
その光と影の強烈――。

勝者を照らす光のまぶしさと、スポットライトの外へ去りゆく敗者の孤影。
ひとにぎりの夢をつかむ人間と、それよりもはるかに多い人間たちの挫折。
その上にある成功者の一瞬の栄光と転落。光と影の無情な反転…。
あるいはその逆に、挫折や怪我からカムバックして、最後には栄光をつかむストーリー。

そうした緊張感が、若い時の自分は好きでした。


ただ、
この歳になるとむしろ、スポーツライターのそうした過剰な「演出」が、あざといなあと感じるようになったことも事実です。

あまり批判的に例に出すつもりはないのですが、『プロジェクトX』みたいなもので…。
ほんらい選手たちが、ただグラウンドで棒で白球を引っぱたいて走り回っているだけの中に、
劇的に見せる為の多くのドラマが、あの手この手で抽出され、
時には、グラウンド外からも物語がもちこまれ…。
それらがひとり歩きして誇張される中、しばしば当事者たちの意図をこえて、「演出」されることがあるのも事実だと思います。

スポーツライティングはノンフィクションであっても、
フィクションとの境界線上に、あいまいな足場を置いた仕事のように思います。
そこに面白さがあるように感じましたし、行き過ぎると、あざとさが嫌になったりもします。


僕自身は今、フィクションをつくることを仕事にしているわけですが。
そうした「演出」に興味があったという意味で、
結局は今の仕事に就いたことに、根底ではつながっているのだなあとも思いますし。

同時に、
アニメーションのように全てが作為で出来上がっている表現であればこそ、なおさら、
作為に作為を重ね、練りに練り抜いたあげく、
実制作中ではいかに、それらの作為を何もかも忘れ去って、
ただ、ただ物語の中に没頭し。
キャラクターたちの自然で自由な振る舞いと、ひとりでに動き出した芝居に、
誰よりも自分自身が、一観客として驚きをもって見ることができるか――。

それが、
僕が演出として一番大事に思っていることです。


この稿、ちょっとまじめになりすぎまして(笑)
あとちょっとだけ余談をつづけます。
19:50  |  演出の話  |  EDIT  |  Top↑

2011.11.09 (Wed)

パースの話

イメージの地平線―透視図の着想と展開イメージの地平線―透視図の着想と展開
(1998/07/16)
中村 勝彦

商品詳細を見る


アニメにおいて、レイアウトをどのような発想でとるべきか、
意外に答えは一つではありません。

さらっと上のように書きましたが…、
掘り下げていくと、実はどこまでも果てしなく掘り下がる話題でして…(汗)
ここではカメラやレンズの話、あるいはアートとして、あるいはイラストレーションとしての、レイアウトのあり方の話や平面構成は除外して、
パース(=perspective)の話だけを、
さらっと気ままに、してみたいと思います。


僕はパースが好きでして。
好きになったきっかけが上の本なので、こうした話題が出るたびに、だいたいどの方にもおすすめしています。

perspective=透視図法が、多くの人に苦手意識を与えるのは、
本を読んで、その理屈はわかったけれども、
実際にその理屈を運用して書かれたレイアウトは美しくない(笑)……というところに、だいたいはあるのじゃないでしょうか。

僕にとっては、それをくつがえしてくれた美しい本が、上の本です。
パースは美しいものであると。


アニメの仕事をしている人でも、たまに知らない場合がありますが、
写真のパースと、透視図法のパースは全然違うものです。

僕が写真をレイアウトのベースにすることに抵抗があるのも、これも一つの理由です。
写真のパースで描かれた絵は、どう描いても、僕には写真に見えます。

アニメが perspective を重視する理由は、
画面の中で、キャラクターを破綻せずに動かすのに最適だからで、
(動かす、ということを無視していいアートやイラストレーションには、その自由さがあるわけですが)

それならば、写真のパースで絵を描いても、透視図法で描いても、どちらでも良いわけで。
しかも、あえてこういう言い方をすれば、
写真のパースと比べて、透視図法のパースは、
実際の人間の見え方として不自然であり、ナチュラルではありません。

人間の目に見える現実の世界に、消失点は存在しません。
直進するパースもまた存在しません。
厳密な意味での直線は存在せず、曲線だけで構成されています。
そうしたことは写真のほうが「リアル」にとらえている。

だから、透視図法を、
世界を正確に再現する為の道具であると考えるのは、大いなる誤解であって、
はっきり、嘘をつくための道具でると考えるべきだと思います。

それなのに、
僕がなぜ透視図法でレイアウトのパースをとりたいかと言えば、
そのほうが美しいからです。
嘘がゆえに、美しい。


この本の中に、
「斜角焦点は流星か?」
という言葉が出てきて、僕はこの言葉が大好きでして。

そんなにもパースにロマンを感じながら語りすぎると、
ときどき、話し相手をドン引きさせたりしまったりするわけですが…(笑)

画面内に無数に存在する消失点は、星であり、
その星が引く流星の尾がパースであり、
それらの織りなすハーモニーの、平面構成の美しさが、
二次元で描かれた絵のレイアウトの、美しさの一つの要素であると考えています。

もちろんですが、画面中がグリッド線のように、
パースを感じる「流星」で埋め尽くされていたら、
うるさいことこの上なくて…。

あくまで、パースを感じる要素を、画面の中にどのような重心とバランスで、部分的に配置していくか。
これはもう、平面構成上の問題になると思いますが。

画面の中で部分的に逆パースになったり、
透視図法の理屈上、画面の端のほうでは、人間の目のリアルな見え方からかけ離れてしまった部分があったとしても、
それらも含めて、「美しいレイアウト」であると感じさせる絵を描くのが、
透視図法でレイアウトを描く、醍醐味であると言って良いのではないでしょうか。


こうした哲学には、とうぜん別の意見もあると思いますが、
僕は僕なりに自分の考えを、折にふれてまとめていければと思っています。


アニメの仕事をする上で、
隠すべき職業上の秘密があると思うのは、だいたいにおいて初心者の幻想で。
この仕事は、一見どんなに複雑そうだったり高度に見えることでも、
非常に基礎的で、基本的なことのコンビネーションで出来上がっているというのが、僕の考えです。

アニメの仕事をはじめたばかりの人が、
僕の考えから、何か自分なりに考えるきっかけをつかんだり、思ったり感じたりしたことがあれば、
それが僕にとって一番うれしいことです。
02:38  |  演出の話  |  EDIT  |  Top↑

2011.09.18 (Sun)

アニメの文法の話(5)

カイジ(1) (ヤンマガKC (608))カイジ(1) (ヤンマガKC (608))
(1996/09/03)
福本 伸行

商品詳細を見る


ところで、一期目のカイジ13話「怪物」(2007年OA)も、
完全にDEATH NOTE の時と同じ考えで演出されています。

福本先生の作品の場合、特に、
その節回しが独特の魅力であり、それは音声化された時にもかわりません。
ナレーションが、だけではなく、セリフの全部がそうだと言っていいですね。
音声として、非常に音楽的な世界観であると言えます。

だから、シナリオが原作から変更している場合、
僕がコンテを描く際には、可能なかぎり原作に戻しました。
そこは、誰にも真似することのできない変更不可な、福本先生の独自の世界観であると考えたからです。

そして、その節回しの独特の抑揚とテンションに心地よく乗りながら、
映像でさらにそれを増幅していく気分で演出しています。


そういう場合、
原作のコマの絵は、僕の場合、結果として0になるわけですが…、
実はこの13話、1カットだけ原作の絵が存在しています。

太田が「飛ばされる~~!」という縦PANのカットがそうです。
はっきり言って深い理由はありません。

もっとローアングルから、風の強さを想像させるような、クレーンUPする絵にしようと思って絵を描き始めたところ…、
ひょいと原作の絵が目にとまり、
パースのゆるさも含めて、なぜか愛を感じたので、
ふと思い立って、その絵をそのまま使いました。

理由は今でもわかりません(笑)
えーと、演出的にいえば、元々の僕の着想のほうが正解な気がしますね。今でも。

ひょっとして疲れてただけかもしれませんが、
僕は直感を何より大事にしているので、それを優先しました。
いつか理解できる日が来るかもしれませんね。


この話数、作監の細居さんと総作監の濱田さんの、熱い絵と芝居が乗って、
原作のもつスピリットを、さらに高めていけたと思います。

OAされたのがちょうどクリスマスだったので、
このような危険なモノを、クリスマスなんかに放送していいのかな…と思いました(笑)。

問題の(?)太田のキャスティングも、なぜか小野坂昌也さんという豪華キャストで、
非常な熱演を頂き、
その甲斐もあってか、なぜか太田がDVDボックスの絵に登場しています(笑)。小ちゃくですが。

萩原さんの「太田、太田、太田~~!!」という絶叫の連呼も良いですね。
リハーサルも含めて、何十回「太田!」と言わせてしまったことか…。

この話数を見た方は、きっとこの名前だけは忘れないだろうと思います(笑)。


この稿、いったんこれで終わります。
04:10  |  演出の話  |  EDIT  |  Top↑

2011.09.18 (Sun)

アニメの文法の話(4)

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)
(2004/04/02)
小畑 健

商品詳細を見る

ちなみにその MONSTER の71話。
そのグリマーさんの怒りのカットが、映像でも強いインパクトをもてたのは、
役者の田中秀幸さんの、すばらしい芝居があったことも書いておきたいです。


さて、
MONSTER ではそうした手法をとったのに、DEATH NOTE ではなぜそうしなかったのかと言いますと、
小畑先生のマンガは浦沢先生のマンガほど、
そのマンガ独自の文法が、映像的ではないからです。
それは優劣の問題ではなくて、作家の個性の違いです。

だから DETAH NOTE では僕は、
原作のストーリーの息詰まる緊迫化を、再現することにひたすら注力しました。

たとえば浦沢先生の場合、
原作のあるシーンが、どのような天候であり、どのような時間帯であるかは、
マンガの文法上でも、大きな意味をもっています。
これは、まず動かせないと言っていいでしょう。

しかし小畑先生のマンガの文法では、
おおざっぱに、流れるものとしての「時」にはあまり大きな意味をもたさず、
シチュエーションの緊迫感は主として、時ではなく、状況によってもたらされます。
そのようにコマ割りが成されている。

だから、原作の緊迫感を増幅し、理知的な意味だけでなく、エモーショナルな意味でも映像的に緊迫させていく為には、
演出家が自分なりに、時間の流れとその緩急を、再構築していく必要があります。

DEATH NOTE の17話は、
父親である総一郎が、ライトに銃口を向けていくのがクライマックスになります。

たとえば僕が原作からふくらませて再構築したのは、
総一郎がライトと海沙を車で連れ出すシーンで、しだいに、生と死を連想させるメタファーである、川にかかる橋と、トンネルをくぐっていき、
ラストの川辺での時間帯は、同じくそれを連想させる夕方、それも日没寸前に設定しています。
わかりやすくカラスなども配されて、演出的に活用していますね。

メタファーは、見る人にそうであると察せられてしまったら、これほど陳腐なものはないので、使い方に注意を要するのですが、
見ている人が、「何かよくわからないけれど、どう考えても何かが起こりそうだ」と予感めいたものを感じてくれて、心拍数が上がるようならば成功です。

そして総一郎が、銃を向けるその瞬間まで、決して振り返らないことの重苦しさが、
見ている人に強い印象を残せば、と考えました。

最終的に銃口を向けるこのシーン。
役者さん達の芝居も素晴らしいのですが、
原画を担当した和田高明さん、作監の小林明美さんの仕事も素晴らしかったので、
ぜひ書いておきたいと思います。


最後に、あとちょっとだけ続けます。
03:16  |  演出の話  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。