2017年09月 / 08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2011.09.18 (Sun)

アニメの文法の話(4)

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)
(2004/04/02)
小畑 健

商品詳細を見る

ちなみにその MONSTER の71話。
そのグリマーさんの怒りのカットが、映像でも強いインパクトをもてたのは、
役者の田中秀幸さんの、すばらしい芝居があったことも書いておきたいです。


さて、
MONSTER ではそうした手法をとったのに、DEATH NOTE ではなぜそうしなかったのかと言いますと、
小畑先生のマンガは浦沢先生のマンガほど、
そのマンガ独自の文法が、映像的ではないからです。
それは優劣の問題ではなくて、作家の個性の違いです。

だから DETAH NOTE では僕は、
原作のストーリーの息詰まる緊迫化を、再現することにひたすら注力しました。

たとえば浦沢先生の場合、
原作のあるシーンが、どのような天候であり、どのような時間帯であるかは、
マンガの文法上でも、大きな意味をもっています。
これは、まず動かせないと言っていいでしょう。

しかし小畑先生のマンガの文法では、
おおざっぱに、流れるものとしての「時」にはあまり大きな意味をもたさず、
シチュエーションの緊迫感は主として、時ではなく、状況によってもたらされます。
そのようにコマ割りが成されている。

だから、原作の緊迫感を増幅し、理知的な意味だけでなく、エモーショナルな意味でも映像的に緊迫させていく為には、
演出家が自分なりに、時間の流れとその緩急を、再構築していく必要があります。

DEATH NOTE の17話は、
父親である総一郎が、ライトに銃口を向けていくのがクライマックスになります。

たとえば僕が原作からふくらませて再構築したのは、
総一郎がライトと海沙を車で連れ出すシーンで、しだいに、生と死を連想させるメタファーである、川にかかる橋と、トンネルをくぐっていき、
ラストの川辺での時間帯は、同じくそれを連想させる夕方、それも日没寸前に設定しています。
わかりやすくカラスなども配されて、演出的に活用していますね。

メタファーは、見る人にそうであると察せられてしまったら、これほど陳腐なものはないので、使い方に注意を要するのですが、
見ている人が、「何かよくわからないけれど、どう考えても何かが起こりそうだ」と予感めいたものを感じてくれて、心拍数が上がるようならば成功です。

そして総一郎が、銃を向けるその瞬間まで、決して振り返らないことの重苦しさが、
見ている人に強い印象を残せば、と考えました。

最終的に銃口を向けるこのシーン。
役者さん達の芝居も素晴らしいのですが、
原画を担当した和田高明さん、作監の小林明美さんの仕事も素晴らしかったので、
ぜひ書いておきたいと思います。


最後に、あとちょっとだけ続けます。
スポンサーサイト
03:16  |  演出の話  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。