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2012.01.28 (Sat)

スポーツライティングの話(1)

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 2/9号 [雑誌]Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 2/9号 [雑誌]
(2012/01/26)
不明

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今日は雑談です。
アニメの仕事でやっていけそうになかったら、スポーツライターになりたいなあと思っていた時期がありました。

スポーツ選手には、実人生とは別に、スポーツ選手としての黎明期・ピーク・晩年があり、
いわば「スポーツ人生」があります。

実人生を濃縮したような、その「選手人生」の中に、多くの凝縮されたドラマが息づき。
栄光に向かって極限まで無駄のそぎ落とされた人生と。ほんの紙一重でも勝者と敗者に分けられる勝負の世界の残酷。
その光と影の強烈――。

勝者を照らす光のまぶしさと、スポットライトの外へ去りゆく敗者の孤影。
ひとにぎりの夢をつかむ人間と、それよりもはるかに多い人間たちの挫折。
その上にある成功者の一瞬の栄光と転落。光と影の無情な反転…。
あるいはその逆に、挫折や怪我からカムバックして、最後には栄光をつかむストーリー。

そうした緊張感が、若い時の自分は好きでした。


ただ、
この歳になるとむしろ、スポーツライターのそうした過剰な「演出」が、あざといなあと感じるようになったことも事実です。

あまり批判的に例に出すつもりはないのですが、『プロジェクトX』みたいなもので…。
ほんらい選手たちが、ただグラウンドで棒で白球を引っぱたいて走り回っているだけの中に、
劇的に見せる為の多くのドラマが、あの手この手で抽出され、
時には、グラウンド外からも物語がもちこまれ…。
それらがひとり歩きして誇張される中、しばしば当事者たちの意図をこえて、「演出」されることがあるのも事実だと思います。

スポーツライティングはノンフィクションであっても、
フィクションとの境界線上に、あいまいな足場を置いた仕事のように思います。
そこに面白さがあるように感じましたし、行き過ぎると、あざとさが嫌になったりもします。


僕自身は今、フィクションをつくることを仕事にしているわけですが。
そうした「演出」に興味があったという意味で、
結局は今の仕事に就いたことに、根底ではつながっているのだなあとも思いますし。

同時に、
アニメーションのように全てが作為で出来上がっている表現であればこそ、なおさら、
作為に作為を重ね、練りに練り抜いたあげく、
実制作中ではいかに、それらの作為を何もかも忘れ去って、
ただ、ただ物語の中に没頭し。
キャラクターたちの自然で自由な振る舞いと、ひとりでに動き出した芝居に、
誰よりも自分自身が、一観客として驚きをもって見ることができるか――。

それが、
僕が演出として一番大事に思っていることです。


この稿、ちょっとまじめになりすぎまして(笑)
あとちょっとだけ余談をつづけます。
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